武田廣神社
紹介
弥生時代の末期、日本武尊の御子である武田王を祀ったことに始まると伝えられています。
武田王は当地に封を受け、甲斐の国を治め、亡骸を埋したをわに塚と云うと伝えられています。
桜の御所と呼ばれた館跡には霊廟が建立され祭神として祀ったのが神社の起源と云われています。
往時は廣乃神社と称しており、いつの世からか氏子の間で廣神社と呼ばれるようになり、天分11年(1542年)武田信玄により諏訪大社の諏訪大明神を合祀してからは、諏訪神社と称するようになりました。平成28年拝殿の新築・本殿の修復を機に、氏子の総意により永い間氏子間に伝えられている廣神社を基本に神社名を「武田廣神社」と称することにいたしました。
住所 |
〒407-0042 山梨県韮崎市神山町武田167 |
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駐車場 |
わに塚のサクラ駐車場(約20台) |
アクセス |
【自動車】 【電車】 ・タクシー |
備考 |
更新日:2024年12月20日