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武田の里模様

千頭星山

甘利山の西にひっそりとたたずむ山があります。名前を「千頭星山(せんとうぼしやま)」と言います。甘利山が頂上付近まで車で行けるため、トレッキングに物足りないと思う登山者が数多く集う山です。実はこの山「山梨百名山」にも指定されているのですが、なかなかどうして今一歩有名になりきれない山なのです。今回はそんな千頭星山にスポットを当ててみたいと思います。

甘利山山頂から西側に千頭星山が見えます。遠くから見ても判るように山頂付近は樹木に覆われ、展望は望めない山かと思われますが山頂手前の稜線が非常に開けていて風景が良いところです。

まずは甘利山を一旦下ります。暫く急勾配が続きますが次第に緩やかな登りとなります。ふと、後ろを振り向くと甘利山山頂の向こうにに美しい富士山が見えました。この日(11月中頃)は見事なまでの秋晴れの天気でした。

暫く、なだらかな道を進むと千頭星山と奥甘利に分かれる分岐が現れます。奥甘利は右の写真でもわかるように樹木に覆われた小高い丘のような場所で奥甘利というのも正式な名前ではなく地元の人達が付けた名前のようです。

奥甘利を過ぎると再び急勾配が続き、また、平坦な道が続きます。何回かそのような道を繰り返すと再び分岐が見えます。今度は千頭星山と御所山への分岐です。御所山は千頭星山と同じくらいの標高の山ですが、あまり登山道も整備されていないので注意が必要です。

御所山の分岐を過ぎると、すぐに千頭星山頂手前の見晴らしの良い笹原になります。甘利山ではツツジを弱らせる厄介な笹ですが千頭星山の辺り一面を覆い尽くす笹原は絶景の一言に尽きます。
話は変わりますが、千頭星山って面白い名前だと思いませんか?この名前にもちゃんと由来がありまして、千頭(せんず)は獣が多い狩猟地を表す言葉で、星(ぼし)は境界線を表す言葉だそうです。狩猟の盛んな山だったのかもしれませんね。中には星(ほうし)を法地とも言い鳳凰三山に関係する信仰の場とも言われています。

先に書いてしまいますが、千頭星山の山頂は上の写真です。樹林に囲まれ展望は良くありません。山頂も広くなく山頂を示す看板と「山梨百名山」の道標がぽつんとあるだけです。

さて、標高2139mの千頭星山、この山頂手前の笹原は非常に展望がよく八ヶ岳、富士山、南アルプス鳳凰三山などが非常に良く見えます。特に鳳凰三山は眼前に見えますので一見の価値ありです。地蔵ヶ岳のオベリスクが非常に特徴的ですね。

上の写真は笹原から眼下に広がる甲府盆地です。甘利山山頂から見る甲府盆地より更に高い位置からの眺めになります。この後、笹原で休憩しました。笹原に寝転びながら晩秋の風を感じ、日本有数の名峰を眺める。あまり人の訪れない静かな山の贅沢なひと時を与えてくれる千頭星山はまさに山梨百名山の名に恥じない山でした。

甘利山クリーン大作戦

甘利山は南アルプス前衛の山で山梨百名山にも指定されている山です。山頂一体を真紅に染める、約15万株のレンゲツツジの大群落や、数多くの貴重な高山植物が自生する「にらさき」を代表する名勝地です。しかし、数年前から笹や下草、潅木が成長し、レンゲツツジや可憐な草花たちの株が弱り、春に咲くはずの花が開花しない危機的状況に陥りました。
以来、この甘利山の素晴らしい自然を保全していこうとするボランティアグループ「甘利山倶楽部」が誕生するなど、徐々に関心が拡がり、各種団体・グループが自主的に草刈作業を実施し今日にいたっています。今回の「甘利山クリーン大作戦」はそんな皆さんの力を一つに結集し、大きな力で甘利山を綺麗にしようと企画いたしました。

11月1日(土)、秋晴れの非常に天気のよい中、約300人以上の人が今回初めて行われる「甘利山クリーン大作戦」に参加しました。企画した当初、人が集まるか不安でしたが参加募集をかけたところ非常に多くの人達から賛同を受け、皆さんの甘利山への関心が高い事を改めて知りました。

甘利山といっても、そこは山、広い面積をもっていますので、今回は駐車場から山頂までの登山道付近の草を刈ることにしました。山頂までの区間を4つに分け、ツツジが多く、鎌で丁寧に刈る所とツツジの無い、機械で刈る所と分けました。

上の写真は甘利山中腹の最もツツジが多く咲く所です。写真で見ると人が少ないように見えますが、実際は100人近くいます。一言で甘利山と言っても実は、とても広いのです。

上の写真は山頂での風景です。ツツジが沢山ありますので、ボランティアグループの甘利山倶楽部の人からツツジの周りを刈る際の注意事項を聞いてからの作業となります。間違ってツツジを刈ったら困りますからね。

上の写真は甘利山全体に群生しているみやこ笹です。どこにツツジが有るか判りますか?ツツジと笹を見分けながら刈る作業は非常に大変なことなのです。

大人も子供もそれぞれの役割を一生懸命にがんばって約3時間に渡り作業をしました。また、当日は非常に良い天気でもあり、改めて甘利山の自然に触れ、その美しさに感動しました。

甘利山の笹をこんなに沢山刈って冬の寒さに耐えられるのですか?と質問されました。大丈夫です。高山植物の最大の敵は寒さではなく日当たりの悪さなのです。雪の中で冬を越した植物の芽は春に素敵な花を咲かしてくれるでしょう。今回の作業はきっと来年の春には実を結ぶ結果になると思います。

上は4年前の甘利山の最盛期である6月中旬に撮られた写真です。全くツツジが咲かない状況でした。

上の写真はかつての甘利山の風景です。山の麓から山頂を見ると真紅に染まっていたと聞きます。
その昔、甘利山は麓の人達の薪を確保する、生活に欠かせない山でした。その後、薪は使われなくなり、山に手入れはされず潅木や笹が大量にあふれ、繁殖力が強い植物だけが今日まで生息してきました。美しい自然を残すためには時には人の手が必要なのです。いつかは、上の写真のような甘利山に戻したいですね。

夏山にらさき

夏山シーズン真っ只中、皆さんはどの山に登りますか?富士山・北岳・八ヶ岳?山梨県には日本を代表する山々の宝庫です。特に「日本百名山」に名を連ねる山々は近年の登山ブームもあり大人気となってます。私たちの韮崎市にも南アルプスの一つでもあり「日本百名山」に名を連ねる「鳳凰三山」があります。今回はその「鳳凰三山」を紹介します。

韮崎市の北西に位置し薬師岳(2780m)・観音岳(2840m)・地蔵ヶ岳(2764m)の三山からなる鳳凰三山。古くから信仰の山として地元の人々から崇められてきた山です。名前の由来は古くは奈良法王が開山したからとか、地蔵ヶ岳のオベリスクを鳥のくちばしに見立て、まるで鳳凰が羽を広げている格好に見えるから鳳凰山と呼ばれたりと色々です。

鳳凰三山に登るには幾つかのルートがあり韮崎市には青木鉱泉から登り薬師岳方面に向かう中道ルートと、青木鉱泉から登り、地蔵ヶ岳方面へ向かうドンドコ沢コース。御座石温泉から地蔵ヶ岳へ向かう御座石コースがあります。御座石コースは緩やかに登る比較的楽なコースですが青木鉱泉側から登る中道・ドンドコ沢コースは急斜面が多いコースとなっています。

実は登山者の多くは南アルプス市の夜叉神峠から登る夜叉神コースが人気なのです。韮崎市から登るコースは交通面や登山の難易度的に高いのかもしれません。今回は幾つかあるコースのうち、沢沿いを登っていくドンドコ沢コースの紹介をします。

ドンドコ沢はその名の通り、沢を登りあげるコースでその途中には4つの滝があり急斜面で非常に厳しい道ではありますが美しい滝を眺められる癒しのコースでもあります。右の写真は四つの滝の中でも最大の滝でなおかつ一番標高の高い場所にある「五色ノ滝」です。秋になると周りの木々が紅葉しとても美しい風景となります。下の写真は「鳳凰の滝」と「白糸の滝」です。いずれもドンドコ沢の中腹で望むことが出来る滝です。

それでは、三山の各山頂は?というと・・・上の写真は観音岳の山頂です。ごつごつした岩が沢山あり、山頂の広さも無く、狭い場所となっているのに際し薬師岳は下の写真を見て分かるように白砂の広い台地となっています。8月には薬師岳の山頂を歩いているとタカネビランジなどをよく見かけます。

鳳凰三山といえば地蔵ヶ岳の山頂にあるオベリスク、この見事なまでの奇岩を望みに登山者が例年数多く登ってきます。山頂には賽の河原という場所があり沢山のお地蔵様が鎮座しています。標高2700mに登ってのこの風景は一見の価値ありです。

地蔵ヶ岳のオベリスクは甲府市から望んでも見分けが付く非常に特徴的な山です。オベリスクのまるでお地蔵様が合掌しているような形の岩は、古くから子授け地蔵として地元の人々から崇められ、数々のお地蔵様が山頂に人々の手で納められてきました。また、先にも書いたドンドコ沢も名前の由来は修験者が太鼓をドンドコ鳴らしながら登った参道であったからとも言われています。この夏はそんな不思議で美しい鳳凰三山に是非、登りにきてください。

釜無川アユの放流

韮崎市は釜無川・塩川の二大河川が市を貫いています。
毎年、7月から8月にかけてこの両河川は沢山の釣り客で賑わいます。今回は夏に向けてアユの放流が地元園児を迎え、行われるということで釜無川河川の午頭島公園へ行ってきました。

韮崎市を貫く二大河川「釜無川」と「塩川」、この河川は下流へ行くと一つになり最後は「富士川」と名を変え、静岡方面へ流れて行きます。この両河川は夏になるとアユ釣りで賑わいます。本日4月25日はその夏のアユ釣りに向け、アユの放流が行われます。

放流する場所は釜無川河川敷にある午頭島公園。地元の韮崎市円野町にある保育園児約30名を招いての放流です。前日の雨も上がり風は強いですが温かい日です。前日の雨で少し水位が上がり水が濁っているそうですがアユを放流するには全く問題がないようです。

今日は地元、円野保育園の園児32名をむかえてのアユの放流。峡北漁業組合から放流に関して注意することを皆で聞いています。

上の写真が今回放流するアユの稚魚。トラックの水槽に入れられて1000匹以上を放流します。この稚魚が夏には立派なアユになって釣り客を楽しませてくれるのですよ。

皆が見守るなか園児たちが各々アユを放流していきます。元気よくアユを放流したり、恐る恐るバケツを持ったりと初めての魚との交流。放流し終わると「元気でねぇ~」の声が所々で聞こえました。

最後に園児と漁協の皆さんと記念写真。漁協の人が言うには、昔はプールなんて無くてよく川で泳いだもの、これを機会に川に親しみ、そこに生きる魚たちに興味を持ってもらいたいと言っていました。未来のフィシャーマンはこの中から生まれるかな?
今年の釜無川・塩川のアユ解禁は6月中頃になる予定です。

武田の里にらさき

韮崎市ってどんなところ?と説明する際、必ずと言って良いほど「武田の里」という言葉を使います。山梨県全体が武田氏に関する史跡が多い中、何故、韮崎市が「武田の里」を使うのか?今回はそんな視点から韮崎市にある武田氏に関する史跡をいくつか紹介していきます。

韮崎市の神山町というところに武田(たけた)という地名があります。ここに館を構えたのが甲斐源氏・源清光の子、信義でした。この信義公、源平合戦の「富士川の戦い」で有名な人なのです。以後、信義は武田と姓を改め、ここに甲斐武田氏が始まったそうです。実は、韮崎市は武田信玄公よりずっと前の甲斐武田氏の始祖、武田信義公と深い関わりのあるところなのです。

上の写真は神山町北宮地にある武田八幡宮の写真です。たまたま、ここに来た観光客の方から「本殿の屋根にある鬼面が素晴らしいですね。」と話したのを思い出して撮りに行きました。八幡宮に関しては詳しくはこのHP内で説明していますのでコチラをお読みください。その他にも神山町には『武田信義公館跡』や信義公の菩提寺の『願成寺』、要害城であった『白山城』などが有ります。

武田八幡宮に関するHP内の説明でも書いていますが。この武田八幡宮は、よく甲府の武田神社と間違われます。武田神社は躑躅ヶ崎の館跡が神社になったもので武田氏が崇拝したのは韮崎にある武田八幡宮です。上の写真は武田勝頼夫人が新府落城の数日前に武田八幡宮に必勝を祈願した祈願文です。しかし、祈りはとどかず武田家は滅びてしまいす。この時、夫人は19歳だったそうです。

さて、韮崎市神山町は武田信義公が館を構えた事もあり、当時の史跡が数多くあり、また現在はのどかな田園地帯ですのでハイキングや散歩をするには最高のところです。ここでちょっとばかり寄り道を・・・上の写真は近年有名になった『わに塚のサクラ』です。春には沢山の人で賑わいます。左の写真は武田八幡宮の近くにある「為朝神社」にある為朝像です。何でも、伊豆大島に流された後、密かに武田為朝と名乗り武田信義公のところに身を寄せていた。という言い伝えがあるとか・・・何にせよ神山町は非常に見どころのある素敵な場所ですよ。

次に紹介するのは『新府城跡』です。今でこそ『新府桃源郷』といって山梨県でも最北端の桃の産地として有名ですが、その昔、ここには在城わずか68日という悲劇の城、新府中韮崎城があった場所なのです。戦国時代、武田信玄の後を継いだ武田勝頼がここ、韮崎に一大城下町を築こうと甲府から遷都しましたが時すでに遅く武田家は滅亡の道を歩みます。

勝頼公はその当時の領土である甲斐、信濃、駿府、上野の丁度、中心となる場所の韮崎に居を構えたといわれています。山梨県内では信玄公の人気の高さに愚息のレッテルを貼られている勝頼公ですが韮崎にお城を移したのは未来への領土経営を見越した展望を踏まえての事でした。左の写真は新府城跡にある武田勝頼公霊社です。

戦国の雄、武田家の最後の居城となった新府城とはいったいどんなお城だったのでしょうか?築城技術に優れた武田氏の集大成ともいえるこのお城、この謎を解明するために新府城跡では今でも発掘作業が続けられています。右の写真は12月に開かれた新府城跡発掘調査見学会の写真です。築城から廃城までわずか1年程の短期間しか存在しなかった新府城、それゆえに手も加えられずにその当時のまま現在に残っています。今後の発見に注目ですね。

武田氏以外にも韮崎には武田家に仕えた人たちの史跡がいくつかあります。その一つが韮崎市旭町を周辺とした甘利郷を拠点とした甘利氏。大河ドラマ「風林火山」でも物語の前半を板垣信方と共に引っ張って行きましたね。その甘利虎泰は韮崎に館がありました。いま館跡には『大輪寺』というお寺があります。また、毎年4月に甲府で行われる「信玄公まつり」では韮崎市は甘利隊として出陣しています。

その他にも韮崎市穴山町には武田家の親戚衆である穴山氏の菩提寺『満福寺』や円野町の『宗泉院』には山本勘助の供養塔。藤井町には勝頼の時代、人質として韮崎にいた木曽義昌の母子のお墓のある『光明寺』などがあります。右の写真は韮崎市の市民まつり『武田勝頼公新府入城まつり』の写真です。昨年の勝頼公役には武田家の末裔である武田英信さんに扮していただきました。

韮崎市に館を構えたことから始まった甲斐武田氏の歴史、その後、時代は流れ、数奇な運命を辿り武田氏が最後に館を構えたのもまた韮崎市でした。韮崎市が「武田の里」と言われる所以がなんとなくでも良いのでお分かりになって頂けましたでしょうか?左の写真は新府城跡の高台で撮った現在の新府(韮崎市中田町)です。勝頼公がかつてこの地に城下町を築こうとした場所は今は美しい桃源郷となり毎年多くの観光客で賑わっています。

秋の韮崎山模様

韮崎の紅葉って綺麗ですか?どこが良いですか?この時期よくこんな電話を頂きます。そこで今回は市内の山、数箇所を登りその風景を写真に撮ってきました。山なので気軽に紅葉が見れる場所とは行きませんが見る価値のある風景が満載の山模様ですよ。
甘利山

この場所はツツジが咲く場所とは違う甘利山の裏側の斜面です。その昔はスキー場だった場所だそうですよ。今は、鳳凰三山に物資を届けるためのヘリコプターの発着場所となってます。標高1731mの甘利山は頂上付近まで車で行けるので物資の搬入は比較的楽な場所という事なのです。

上の写真と同じ場所で少し目線を左にをずらすと・・・遠くに八ヶ岳が綺麗に見えました。

この場所は上の写真から少し登った場所。甘利山の奥にある千頭星山へ向かう登山道の途中で撮りました。奥に見える山は千頭星山へ向かう途中にある奥甘利という場所になります。
茅ヶ岳

深田公園の入口から少し登った場所です。丁度、この日は観光協会で開催した茅ヶ岳トレッキングの日でした(11月2日)。雨は降らなかったものの一日中曇っていて寒いトレッキングとなりました。

頂上に行く途中の丁度、中間地点に女岩があります。岩の上の木々が紅葉していてとても綺麗でした。

今年は暖かかったため、紅葉が遅く色づきも例年に比べて悪く、紅葉を待たずに落葉してしまう木が多かったようです。写真を見ても解りますが赤や黄色の葉の所々に緑が見えます。とはいえ十分に綺麗な茅ヶ岳でした。

荒倉山

最後に紹介する山は荒倉山です。標高1132mと前に紹介した山々に比べると低く、また、知名度も少ない山ですが非常に紅葉が綺麗な山と地元でも評判の山です。

荒倉山に登ったのは11月19日、この日は快晴で非常に紅葉が良く映えました。荒倉山は他の山に比べ標高が低いため今年は11月下旬頃が紅葉の見頃でした。

荒倉山は後ろに南アルプス、前面に八ヶ岳、茅ヶ岳、富士山と景観に恵まれたところにあります。右の写真は中腹の見晴らしの良い場所で撮った甲斐駒ヶ岳です。

上の写真は荒倉山山頂で見た富士山と南アルプス鳳凰三山です。下の写真は頂上手前の稜線で見える八ヶ岳です。北杜市が一望できる見晴らしの良い場所です。写真には写っていませんが右側には更に茅ヶ岳、みずがき山が見えます。そして天気の良い日は八ヶ岳左側に北アルプスの山々も見えますよ。実はこの日も快晴で遠くに真っ白に雪を被った北アルプスが見えました。

その他

荒倉山の帰り道に七里岩の紅葉が綺麗だったので撮ってみました。韮崎市をはしる国道20号線はその殆どが七里岩横をはしっています。韮崎市はこの溶岩台地が市の真ん中を貫いています。かつて戦国時代、この険峻な台上にお城を築いた武田勝頼公もこの七里岩の美しい紅葉を見たのでしょうか?

信仰の山苗敷山

苗敷山を知っていますか?実はこのHPの中に苗敷山の事は載っていないのです。その代わり苗敷山山頂に建つ穂見神社の写真とちょっとしたコメントが入っているだけなのです。苗敷山は古くは平安時代より続く神道と仏教が融合した山岳信仰の山でした。しかし明治時代の廃仏稀釈により神社としての道を歩み現在は穂見神社の社が残るのみとなっています。今回、11月23日に開催された韮崎市教育委員会の「ふるさと歴史発見ウォーク」の「苗敷山ウォーク」に参加してきましたので、この山の姿をお伝えしたいと思います。

ウォーク当日は雲一つ無い快晴に恵まれ、穂見神社里宮よりスタートしました。目指すはこの里宮の裏山の頂上にある穂見神社奥宮、標高1013mの苗敷山山頂までです。

穂見神社は里宮、奥宮とも韮崎市旭町にあります。右の写真が苗敷山です。更に奥の山にはツツジで有名な甘利山があります。教育委員会で当日手渡された資料によると、苗敷山は水を多く蓄えた高層湿原の山でありそのため豊穣を祈願する信仰の山となったらしいですよ。

登山道と言っていいのか穂見神社への参道と言っていいのか解りませんが、右の写真のような山道を登っていきます。写真を撮るのを忘れてしまったのですが、里宮から奥宮までの間に一丁ごとに丁石が置かれています。年月を経て解らなくなった場所もありますが、その石を見ると確かに信仰の山であることが伺えます。ちなみに始まりの丁石は里宮の裏手にありました。一丁目かと思ったら初丁目と刻まれていました。洒落てますよね初丁目なんて。

山道を登っていくと急にガイドの先生が道を少し外れたところに皆を案内しました。着いた場所は大樹の根元に鎮座する山神様です。先生の説明によると、この山神様は春になると町の人の手により里に下りて田畑を潤す豊穣の神様になり秋になると山に戻り山の神様になるそうです。山は又、沢山の動物が居ることから山神様は狩猟の神様でもあるそうです。よく見ると2匹の狛犬には狩猟を表す弓と矢が付いています。苗敷山はいたるところにこのような場所があります。

山の中腹に差し掛かった広い場所に鳥居がぽつんと建っていました。苗敷山と書いてある石鳥居です。丁度鳥居の間から苗敷山が見えました。この石鳥居には「寛文四甲辰年四月三日大工府中魚町二丁目大阪吉兵衛」と刻まれています。寛文は江戸時代ということですから山の中腹まで巨大な石鳥居を運び、組み立てる財力や影響力が江戸時代の穂見神社にあったことが伺えますと先生が説明していました。

頂上付近に差し掛かると登山道に徐々に石段が増えてきます。いよいよ穂見神社奥宮が近づいてきた証拠です。心なしか神々しい雰囲気が漂います。

上の写真が穂見神社奥宮です。苗敷山には指定文化財が数多く存在しています。上の「穂見神社奥宮本殿」と左下の「高野マキ」は市の指定文化財。下のアスナロは県指定文化財となっています。また左の穂見神社の後ろに見えるモミ林も県指定自然記念「モミ自然林」となっています。

穂見神社に続く石段の手前にお寺の跡があります。かつてここには「宝生寺」というお寺があったそうです。今は消失し、その礎石だけが残るのみですが更に奥には茶室跡、馬屋跡などがあることから、その大きさが伺えます。何でも武田八幡宮の棟札の写しに宝生寺の阿闍梨の名が有ったという事から武田氏とも関係があったのでは?とも先生は言っていました。

上の写真は穂見神社本殿の横に有る石仏です。神社なのに石仏?となるところですが宝生寺が有った事を思えば当然なことが解ります。右の写真の牛に乗った仏様は名前を忘れましたが、左端の仏様は手の印の形から大日如来であることが解ります。

宝生寺跡を奥へ奥へと進むと韮崎市が一望できる場所に出ます。標高約1000mからの眺望です。天気が良くて最高でした。

さて、帰りは登った時とは違う道で下山しました。やはりその道でもこのように石仏を見ることが出来ます。ここは墓地なのか塚のように石を積み上げた上に石仏がおいてありました。

苗敷山には所々に平らな場所があり、そこには礎石のようなものが有りました。かつてそこにはどのような建物が建っていたのでしょうか?平安時代から存在し江戸時代では巨大な石鳥居を作るほどの力を持っていた苗敷山。今は昼でも薄暗いほど茂った樹木の中に苔むした石段と神社を残すのみとなりました。しかし、どこか人を魅了する美しさと懐かしさがある素敵な場所でした。